怪我の功名。 

 諺の意図から少しずれてしまうが、まぁいいか。このところ急速に語彙が減っているとの自覚があり、適切な言葉が出てこない。

 急性膵炎との診断を受け1月下旬から3週間、予期せぬ入院生活を強いられ、あの時抱えていたいくつかの案件に悪影響が及んだ。
 しかし、時間の経過と共に、嫌なこともあった一方で良い面も多かったと思えるようになっている。
 最大の収穫は、退院から今時点まで完全にアルコールを断てていること。監督者不在の堕落した単身生活となって、かれこれ12年(だったかな?)。これまで何度も断酒に臨んだが、今回ほど長い期間持続出来たことがない。そして今、を飲まないどころか飲みたいとも思えなくなっている。
 をやめていることで、色々な分野に良い効果が現れているのも事実。出費が減り、まともに動ける時間が増えたのは当たり前として、「すっかり安定期ですね」と皮肉られるほど出ていた腹が、「そろそろ安定期ですね」と言われそうなレベルに。結果として、用を足す際に放水ノズルが見えるようになったし、釦が弾け飛んだSmall-Regularの作業ズボンも穿けるようになった。
 さて、この状態をいつまで保てるか。をやめるとに転じやすい。軽状態で自分を客観的に見られるならまだ良いが、それを超すと大変なことになってしまうだけに課題は多い。

怪我の功名。20170407-01
▲逃げ口上として、今のところ完全断酒は考えておらず、日常的な飲は断つとしても宴席等に呼ばれた時は飲むと思う。主がいなくなった実家の押し入れから出てきた未開封の酒類数本は、ひとまず仏前に供えから本当に必要な時が来るまで普段見えない場所に保管。

自宅入院療養中。 

 ここしばらく鬱周期の真っただ中で、しかも鬱症状がずどーんと重い。朝から倦怠感がつきまとい何事もやる気になれず、午後遅く、夕方近くになってようやく少し気分が軽くなって来るというのは、鬱症状に見られる典型的なパターン。
 夕方になって気力と思考力が少し回復して来た日の場合、そのまま深夜、あるいは明け方までPCに向かい仕事に没頭してしまうと、翌日はぐったり動けなくなるので、生活リズムを整えるよう、脳が活性化している時間帯であっても、早めの就寝を心がけている。

自宅入院療養中。20140711-01
▲本文とは関係なく、たまには陣の写真をば。山へ連れて行き、自由に走り回らせてやりたいのだが…。


 断酒(今日で27日目)や食事の時間と量を変えてみたり、考えられる策をあれこれ講じてみるものの、まだ改善の兆しが感じられない。過食や拒食といった食欲異常、睡眠障害(深夜、早朝覚醒)など精神疾患にありがちな症状も頻繁し、たまにひょっこり短時間の躁状態に転じることもあり、こうした症状を常に自分で把握しながら対応するだけでも疲れてしまう。鬱症状が重い日は家から出ることすら出来ず、陣の散歩もさぼりがち。
 加えて、肘を傷め、なるべく腕を休ませるよう医師から指示されて以降、梅雨入りして天気が不安定なこともあり、作業へ出ることがめっきり減った。

自宅入院療養中。20140711-02
▲飼い主の前、特に小屋の周囲ではだらしない姿しか見せないが、お客さんの前では違うらしい。(撮影:岡田雅之)


 焚き火屋も森臨隊も、活動が一段落している時期なので、その点では気を揉む必要もないのだが、作業で体を動かせない状態はもどかしくもある。
 それでも、商品の梱包・発送などの業務はこなせている。売上、つまりは収入に直結するから、その時だけは頭と体が働くのだろう。我ながら、何ともゲンキンな思考回路だ。

 ま、これまでの経験から、鬱の時は鬱らしく、無理せず休んで時間をやり過ごすのが一番良い。そうやって休養していれば、やがて気力も回復して来る。休める時に休むのも、仕事の内だと割り切って。

急性意欲欠乏症? 

 その後、森臨隊による里山再生活動は順調に捗り、6月末までに約500坪の篠刈りと下刈りを終え、今の時期は小休止。斜面の状態や伐採予定木の根元から枝の絡み具合も確認出来るようになったので、今後はどの方向にエリアを拡大させれば効率的かを判断しながら作業を進めることとなる。

急性意欲欠乏症? 20120717-01

急性意欲欠乏症? 20120717-02
▲参加者の意欲的な作業によって斜面を覆っていた篠竹もかなり片付き、心地良い風も吹き込むようになった。


 それはさておき、このところ体調がどうも芳しくない。
 昨年末の「躁大爆発」により人間関係も生活も壊れてしまったことから躁治療の必要を意識し、主治医に相談して4月から新しい薬を処方してもらうようになった。海外ではかなり前から躁鬱病の第1選択薬として用いられ、日本でも昨年秋に承認された「ラミクタール」という薬。
 躁治療に関して2年前に試みた際は、当時一般的だった「リーマス」(炭酸リチウム剤)を処方してもらたが、効き過ぎたのか躁症状は出なくなったものの気力も抑え込まれ強制的な鬱状態に陥り何も出来なくなるという苦い経験がある。
 聞くところによれば、「ラミクタール」は「リーマス」よりも効き目が穏やかで副作用も少ないという。前回の事例から躁治療には消極的にならざるを得ないが、とはいえこの先また躁状態が激化し手がつけられなくなるような事態は避けねばならない。
「とにかく試してみンべ」

 服用を始めて3週間ほど経ったあたりから、なんとなくその効果を感じるようになった。感覚や思考が適度に抑制されているようで、この処方が合っているようにも思えた。
 しかし、3ヵ月経過してみると、これで良いのだろうかという疑問も出始めている。睡眠薬の効き具合が日によってまちまちで、朝、寝不足感が強い。追加の睡眠薬を飲み二度寝、三度寝して、ようやく寝た気になれる。睡眠のリズムが狂っているため、生活リズムも狂いっぱなし。倦怠感も強い。それに加えてここ数日は意欲低下が著しく、作業に出る気も買い物に行く気も出ず、室温31~35℃の居間でただ寝てるだけ。事務仕事を片付ける気も駄文を書く気も起きない。食事を作ることさえ面倒だ。それでいて、特に落ち込む訳でなく鬱とは明らかに異なる不思議な感覚。案外、これが世に言う「普通」なのかも。

 原因は何だろう。思考力が低下した状態で考え込むより、寝た方がマシか。もう少し収入が増え、せめて生活保護費並みになってくれれば楽なんだけど…。

壊れた。 

 鬱周期に入ったことを自覚して以降も、生きるため子供のために無理を承知で頑張って来た。しかし、とうとう「自分」が壊れてしまった。

 ある分野の仕事をしてもまっとうな報酬が得られないなら、いっそ駅前に蓆を敷いて空き缶を置き、物乞いでもやった方がマシというもの。こんな状況が続いたおかげで、闘病資金すら確保出来ないままでいる。

 私が社会との接点である薪ストーブや福祉の分野でも、すでに「悪貨が良貨を駆逐」し始め、それもかなりの勢いで悪貨が増え続けている。
 四駆業界と同じように、やがて悪貨もろとも葬り去られるであろうが、それは早くて3年後、遅ければ15年後だ。
 悪貨が駆逐されるまで理念を通し続ける意志があっても、その時まで「自分」が耐えられるのだろうか。次世代へバトンを渡す用意は出来ている。

 薪屋としての仕事はこなせても私生活はさらに荒み、破壊衝動を抑えきれない。その結果、台所の一部と風呂場と脱衣所は壊滅状態。食器棚の中にあったもの、流し台にあったもの、飲み干した焼酎の空き瓶など、目につくものは徹底的に破壊し、独身生活以来使い続けていた調理器具もいくつか破壊した。人間関係など、とっくに壊れている。

 それでもなお、理不尽なことが周辺に起こり続けている。その都度わき起こる破壊衝動とそれを抑えようとする葛藤。積み重なった葛藤がやがて抑制不能な破壊衝動へとつながる。

 「自分」が壊れていることを自覚しているからには、現状をどう乗り切るかが正念場であろう。破壊衝動の最終形は、徹底的な自己破壊なのかもしれない。

バラバラ part-2。 

 単に「バラバラ」というタイトルにしようかと思ったが、過去に同題記事があることから、「part-2」を付け足した。短絡的だけど、オチを考えるとコレが良いかも。

 5月に入り屋外作業には不向きな天気の日も増えて来たので、
「よし、もう少し書く習慣を引き寄せ、ウェブログの更新頻度を上げよう」
 と意気込んでみたのだが…。1週間以上も間隔が空いちゃってるじゃんか!
 自己解析によると、原因は相変わらず躁鬱混在期にありながら上下の振幅が大きくなり、落ち着いて文章をまとめられない点にある。思いつきに任せて、長短数本の原稿を書いてみたのだが、そのいずれもが尻切れトンボの未完状態。公開するかどうかは別として何とか書き上げようとしても、思考がバラバラでまとめられない。前夜調子良く書き進めたものを翌朝仕上げるべく推敲を兼ねて読み直してみたら、
「何だ? この文脈。ダメじゃん」
 なんてことばかり。ただしこれが全てマイナス要素となる訳ではない。話が脱線したり回りくどかったり、用語・表現が不適切だったりで、書いているうちに脳が活性化され躁転していたことに気づき、結果として自分の感情変化を読み取れるので書きかけの駄文にも利点がある。
 本人である以上100%客観的視点を持つことは困難だとしても、可能な限り客観視出来るよう意識しておくのが、自身の病気と向き合う上で大切なことだと信じている。

 さて、明日に備えて気軽に気楽に構えるとしよう。薪割り三昧の日を設けて精神のバランスを保つのも一手だな。

 ♪まっかっかーのおヒィップ
    けっとばせーェけっとばせ!♪

バラバラ part-2。20110521-01
▲庭のモノを全撤去する際、花壇の植物もさらったのだが、しぶといヤツはちゃーんと生き残っていた。昨年は1輪、今年は2輪。メディア関係者Y澤さんやS井さんの影響を受けちゃってるな。※キャプションには特定の方に向けた内容も含まれています。

ただ今躁鬱混在期。 

 私の場合、季節の変わり目は躁と鬱の混在期でもあり、いつも以上に体調管理に気を遣う。注意力が散漫になっていることや、またしてもアル中の領域に踏み込んでいることを自覚したので、最低でも1週間の禁酒と気の引き締めを図ったにも関わらず、ちょっとした不注意が原因で4月24日夕刻から27日朝までのほぼ3日間、右目だけで生活する羽目に。
 片目状態では、当然ながら視力が落ちるし遠近感も掴み難くなるため、慣れるまでに結構疲れる。おまけにその状態で電車を乗り継ぎ横浜まで行く必要があったことで、余計に疲れてしまった。
 半月ほど前から鬱周期に入り始めている認識はあり、何とか日常生活を維持していたが、この疲労が災いしてか27日午後から一気に鬱モードへ転落。何もやる気が起きなくなってしまった。昭和の日(4月29日)には来客予約があったので、意地で気力を呼び戻して対応、ついでに第4置き場の草刈りもこなしたが、翌日は朝からどっぷり鬱モード。うぅーー。
 こういう時は、昼夜を問わず寝て過ごすのが一番良い。寝付けなければ処方された眠剤を服用してでも寝て、時間をやり過ごす。どうせ起きていたって何もやる気になれないし、前向きな思考力も失われている。睡眠を生活の基本に据え、その中でやれることをやる。例えば買い物とか食事の支度とか。
 4月30日、5月1日の丸2日間、落ち込んだ気分に悩みながらもほとんど寝て過ごしたところ、5月2日の午後あたりから気力が戻り始め、草刈りや薪作りといった作業をこなせる状態に。しかし…。
 翌5月3日、起床時は躁でも鬱でもなく良好な状態にあったものの、時間が経過するにつれ急速に躁方向へ。やる気はあっても、ソワソワして時にイライラ。この状態で作業に出るのはマズイ。言動が攻撃的になるし、ちょっとしたことで怒りやすく、感情が暴走する前に抑制しておかねば。たまには映画のDVDでも借りて観ようかとも考えたが、外出のものもが危険と判断し、頓服眠剤を飲み強制的に昼寝。1~2時間の短い睡眠であっても、これによりかなり気分を安定させられ急な来客にも対応出来る。

 結局、躁でも鬱でも寝てやり過ごすのが私なりの対処法。どちらでもない状態を見計らって屋外作業やデスクワークをこなすことになるのだが、躁鬱混在期にこの「躁でも鬱でもない」微妙な状態を維持するのは難しい。3日休んで1日働くような状況であっても、入院するよりマシだわな。

折れた心。 

 この世に生を受けた者の責務として、無様でも良いから生きて行こうと頑張って来た。でも、その気力が折れかけている。いや、もう折れているかも知れない。

 20歳になって以降、サラリーマンの時は厚生年金保険料を、フリーの時代は国民年金保険料を欠かすことなく納めて来た。それは、その時代の高齢者や病気の人を支えるためでもあり、将来自分が同じ立場となった時のための「保険」となるからでもあった。
 しかし、年金に対する期待は裏切られた。精神疾患を得てしまい、自殺未遂や家族離散など簡単には書き表せないほど苦しんだ時期に関して受給申請をしたが、ことごとく却下。書類を出すに当たっても、
「それは川越の社会保険事務所だ」
 と言われたと思えば、
「いや、熊谷だ」
 と言われて問い合わせると、
「違う、川越だ」と言われ、
 再び問うと、
「それは浦和だ」
 と言われ、浦和に書類を出すと、今度は、
「霞ヶ関に来い」
 となる。もう訳が分からない。障害を抱えながら何とか収入を得るため無理を押して仕事している身にとっては、診断書など必要な書類を用意し所轄の所轄の保険事務所へ行き何時間も待たされることさえ大きな負担なのに、更に遠い窓口へ行くよう指示されるなど不可能な要求に近い。しかし、健康な吏員にはそれが理解出来ないらしい。
 数年前、浦和へ出向くよう指示されたため無理を承知で出かけたが、歩いている途中に意識が朦朧として路上で倒れてしまい、救急車で2回搬送された。その2回目は、搬送先の病院が精神障害者の受け入れを拒否。救急隊員は都下にあるかかりつけの病院まで搬送すると伝えてくれたが、片道3時間、往復6時間も私のために貴重な救急車を専有するのは申し訳ないので辞退し、最寄りの駅で降ろしてもらった経緯がある。
 浦和に行った時でさえ、この状態なのだ。「指定した日に霞ヶ関の厚生労働省へ来い」と通知が来ても、行ける訳がない。

 申請に必要となる診断書だってタダではない。それも複数必要となる。診断書を取りに行くためには、時間も労力もかかる。自分で記載する書類にしてもかなり複雑で、精神障害者が自分で記載するのはかなり困難。そうした困難を乗り越え書類を揃えても、窓口をたらい回しにされるのだ。行政のシステムとしては申請可能としているが、当事者の現実を踏まえると申請不可能なのが実情である。
 これまで私は、どれほど負担を強いられたのだろうか。何枚も要求された診断書にいくらかかっただろうか。診断書を取りに行ったり何回も窓口を訪ねるための交通費は、累積でいかほどだろう。日数や手間にしても、かなりの時間を割いている。そこにかけた労力は、単純に時給いくらで計算出来るものではない
 そのすべてが無駄であり徒労であったと知らされると、自分が何のために税金と年金保険料を納め、何のために生きているのかさえ分からなくなって来る。
 誰しも好んで病気になる訳ではない。しかし今の行政は、病気で障害を抱えた、とりわけ精神障害者は理解出来ないので早く死んでくれと言っているように思えてしまう。障害者が死んでくれれば財源の危うい年金を出す必要もなくなるから、好都合なのだろう。
 日本の社会保障システムを信用していた私が愚かだった。年金保険料を納めて来たことが、お人好しに思えて来る。役場から督促されようと拒否し、民間の保険会社も信用度が怪しいので、「箪笥年金」にでもしていれば良かったのだ。
 失望感が大きく、病気と闘いながら生きて行くことも無駄なことなのだと思え来る。

 折れた心を修復するのは容易なことではなく、かなりの時間と労力を必要とする。その努力が徒労となることを経験として知ってしまうと、首を吊るかアルコールに逃げて廃人と化した方がマシに思えてしまう。
 私と同じ病気(障害)を抱える人には、どうか私と同じ轍を踏んで欲しくないと願いばかりである。