ジープ(Jeep)と薪ストーブ(暖炉) 焚き火屋店主、NPO森臨隊代表・菰田晴雄の呑気なウェブログ

ジープと焚き火をこよなく愛する人間の、時に間抜けで時に過激なウェブログです

2017-03-27

ひと区切り。

 まだ背中に痛みが残るものの、お陰様で体調はほぼ恢復。無理をせず自分のペースで日常を取り戻し始めている。

 先週の月曜日は、母の一周忌。経済的に厳しいのは相変わらずだが、いつもより多めに花を用意して墓参り。あの甚だしいドタバタから、もう1年か・・・。
 昨年末までに搬入した原木の処理がすべて終わり、屋としては次のサイクルに入った。まずは、傷んだ小屋の補修あるいは解体して作り替え。急ぐ必要はないから、のんびりやろう。来客対応も無難にこなせているし。

ひと区切り。20170327-01
▲カシのを小屋に収めながらパチリ。これで今シーズンに入荷した原木の処理が完了。例年なら、今頃は1~3月に伐採した原木処理に追われているのだが、緊急入院騒動もあり今年は異なる。

2016-11-24

喪中葉書。

 先週、11月に入って3枚目の喪中葉書が届いた。文面から、故人を偲ぶご遺族のお気持ちが伝わって来る。そうか、もうそういう時期なのか…。

 3月に母が、8月に父が死去した私は、喪中葉書を出す立場にある。しかし、鬱周期から抜け出せず立冬を過ぎてなお、喪中葉書を用意する気になれない。

 父の交友関係は広く、生前「毎年400~500枚の年賀状を出している」と語っていたものの、誰とやりとりしていたか殆ど把握していないし、ここ約1年のドタバタで把握する余裕もなかった。父が住み慣れた神奈川を離れ姉の元で余生を過ごすと決めた際、手紙も含めて身の回り品は姉に送ったため、今更把握することも難しい。
 母の年賀状は、おそらく30通前後。「捨てられない」性格だったため、多く残された遺品の中から父宛も含め直近の年賀状を発掘するには時間と労力が要る。
 そして私は、精神的な異変を自覚して以降、十数年も年賀状を出していない。

 ちなみに父宛の郵便物は姉の自宅へ、母宛の郵便物は拙宅へ転送されるようになっている。年が明け両親宛の年賀状が来たら、差出人様が健康でおられることを祝いつつ、鬼籍となったと伝える返信を書くことになろう。

 以下は、喪中葉書にも使えるように書いた文章で、諸事情から葉書を出せない代わりとして、ここに記します。

<喪中につき新年の挨拶を失礼致します>

 本年3月20日に母・菰田啓子が、8月10日に父・菰田淳郷が他界しました。母85年8ヵ月、父86年2ヵ月の生涯でした。
 大恋愛から夫婦となった両親は、昨年11月に60回目の結婚記念日を迎え、そして仲良く半年と置かずに彼岸へと渉りました。昭和5年生まれの両親は、ともに厳しいながらも愉しさを感じられる人生を過ごし、命を全うしました。
 両親へのご厚情に心からの深謝とともに、皆様が息災でおられることを祈念しております。

菰田晴雄

2016-10-14

徐々に。

 まだまだ不安定ではあるものの、体調は徐々に回復して来ている。
 昨日は何ヵ月ぶりかで薪に関する作業を再開。しかし、長く「自宅入院」状態だった私の体力はガタ落ち状態にあり、半日ちょっとしか気力を維持出来なかった。トホホのホ。

徐々に。20161014-01
▲薪割り機を用い仲間と私、3人足で作業したが、最も楽なポジションにいる親方役(私)の気力が最初に落ちた。思えば、以前はこれ以上の作業を1人でこなしていたのに…。


 ま、それでも少しは前に進んでいるのだとポジティブに考えよう。作業可能な時間が増えれば、腹部に蓄えられた脂肪が減り、衰えた筋力も戻ると思うのだが…、甘いかな?

2016-09-22

10年。

 去る9月13日で、当欄は満10年を迎えた。
 始めた時は深く考えていなかったが、継続出来れば何かしら変化があるだろうと根拠のない自信もあった。10年前と比較して更新頻度がすっかり落ちでしまったが、当時と今とでは、時間的余裕に大きな差がある。様々な仕事に携わる中で、書きたくても書けない内容も多くなった。それに、この10年で確実に老化した。
 10年と言えば、長いようで短いし、短いようで長い。とりわけこの1年に全てが集約されていたようにも思える。両親の危機を知り必死に元気づけたが、3月に母が、8月に父が他界し、厄介な病気を抱える私にとっては、最大の理解者を失った。
 ただし、10年という歳月は伊達ではない。自分なりに様々な体験をし、今日を生きている。新しい顧客も増えた。この1年で発症以来最大級の躁と最悪の鬱が現れてしまったが、それらを乗り越える術も経験として学んだ。
 10年前には10年後を予想出来なかったとのと同様に、今後もどう変化するか分からない。もう若くはないことを自覚し、両親を供養しながら、これからのことはゆっくり考えるとしよう。休むことも仕事のうち。焦ったり怒ったところで、何も得られない。

10年。 20160916-01
▲彼岸花が咲き今年最後の草刈りが終われば銀杏の季節。大粒で、多い時は買い物籠1杯分以上収穫出来る。とても食べきれないので、両親がお世話になった方々へ送る予定。

2016-08-13

父、死す。

 発症以来最悪の体調で伏せっていますが、遅まきながら報告します。
 去る平成28年8月10日0645時、父・菰田淳郷が入院先である高知県内の病院にて息を引き取りました、。86年2ヵ月の生涯でした。そうか、とうとう力尽きたか…。

▲親、子、孫の男3代で飲むことの夢に描いていた父。偶然もあって、それが叶った。
父、死す。20160814-01
(平成27年10月)。

父、死す。20160814-02
▲ ふわふわした毛糸のセーターが欲しいとの要望を受け。私が用意した中の1枚を父はとても気に入っていた。「こげなセータば、一度着てみたかったい」。
(平成27年12月)。


 国家公務員時代の前半20年はは第7管区所属の海上保安官として命がけで働き、航空局に異動した後半は、北は北海道から南は沖縄まで任地を変える激動の日々で、退官後は民間企業に再就職して働きながら、地元の老人会を束ねたりNPO法人を立ち上げたりと、忙しくしていなければ気が済まないような父でした。
 生前は、想像もつかないほど多くの方々のお世話やご厄介になったことでしょう。この場を借りて、長男の私からお礼申し上げます。
 ありがとうございました。
 既に高知で通夜と告別式を済ませ骨片となった父は、近日中に私の元に帰って来ます。四十九日法要と納骨は、母が眠る神奈川県相模原市の墓所にて行う予定です。

2016-08-02

父の現状。

 「父、容態悪化」の報せを受け、高知県のとある病院まで行き面会して来ました。
 残念ながら、意識はあっても会話不能。何か言いたそうに口許が動いても、声になりません。既に恢復の見込みはなく、持ち堪えても?週間、悪ければ今にでも呼吸が止まる状態でした。声がけに反応があり、握った手を握り返してくれたことが、せめてもの救いです。
 生きている父と会うのは、これが最後でしょう。片道920km、往路13時間、復路に18時間半を要した2泊4日の面会で、私は心身共に疲れ果てています。死亡連絡が入ったとしても、体力的にも精神的にも経済的にも再び高知へ行くことは不可能です。手元にあるお金は、骨片となり壺に納まった父を母が眠る墓へ導く費用として確保しておかなければなりません。
 父の交友関係はあまりにも広く、私が知っているのはごく一部です。後になって多方面から「どうして知らせてくれなかったのか?」と言われても対応しきれませんので、今のうちに当欄で報告しておきます。
 波乱に満ちた人生を歩んできた父・菰田淳郷は、いよいよ最期を迎えようとしています。悲しくても、これが現実です。ありがとうございました。

2016-07-24

平穏な日々。

 一昨日は大暑だったというのに、夏らしからぬ涼しい日々。

 昨年秋から始まった実家に関すとドタバタはひとまず落ち着いたが、あの時期からは信じられないほど静かな毎日を過ごしている。
 まだ病相混在期にあるらしく、体調は相変わらず不安定。普通にやる気が出ている日もあれば、全く気力が出ない日も。やる気がある日は2年後以降の商品となるを作り、気力も失せている日は家でぐったり。余計なことをやらないよう気をつけながら、躰と心を休ませている。

平穏な日々。20160724-01
▲冬に開催した古着市。多忙や体調不良など諸般の事情から休止状態にあるが、機会を見て再開予定。


 この夏は、このまま静かに過ぎて欲しい。それ以前に、本当の夏は来るのだろうか。暦の上では真夏でも、天気図を見ると夏が来るのはまだ先のようだ。以前の教訓から、米を20kgほど買っておこうか。

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