ジープ(Jeep)と薪ストーブ(暖炉) 焚き火屋店主、NPO森臨隊代表・菰田晴雄の呑気なウェブログ

ジープと焚き火をこよなく愛する人間の、時に間抜けで時に過激なウェブログです

2016-12-30

恢復度チェック。

 昨日は、故・石川雄一さんの追悼を兼ねた「橋の下忘年会」に参加。助手席に陣を乗せ軽トラで会場まで行けたこと、アル中なのに美味そうな酒と肴が並ぶ場で致酔性飲料を1滴も口にしなかったこと、この2項目で自分自身の恢復具合を確認出来た。まだまだ駄目だと思う一方、やっとここまで戻れたという実感も。
 集まったのは、4×4MAGAZINEからCCVに移ったイシカワイズムに毒され(失礼!)愛読していたコアな面々。怪しげな風体が屯し、広くて深い会話を交わす。誘惑(何の?)に負けた場合を考慮して簡易宿泊用具も積んでいたが、酔えばこの会話から脱落してしまう。それはあまりにも勿体ない。

 初対面の方もいれば、懐かしい顔もある。重度の鬱とアル中でCCVを辞去したのは16年前で、私自身が「過去の人」なのだと認識している。
 にも関わらず、20年前の記事を何度も読み返しているとか、25年前の記事は宝物です、なんて言われると、お世辞であっても筆者冥利に尽きる。
「今でも鋭い切り口で四駆の記事を書けますか?」と問われた時には答えに窮し、
「今は書きたくなるような車がありません」と返したが、少し時代を遡ればネタは山ほどある。

CCV忘年会20161229-01B
▲美味しそうな酒と、風情溢れる燗銅壺。さぞ美味かろう。なお、公序良俗に反する・・・もとい、肖像権が派生しそうな部位は隠してあります。ベタ塗りの裏に「赤貝」や「鮑」が隠れているなら別ですが・・・。


 発病以来、最大級の躁と、反動による最大級の鬱に見舞われた私は、自分の立ち位置を見失いリセットを模索中だが、ジャンルが広く、どの分野をどの時点に戻すべきかを迷っている。
 同時に、倅がいっぱしの社会人となり娘の進路が決まった状況で、老い行くだけの父親がリセッして良いのかも迷っている。生き物として遺伝子の引き継ぎ役は、もう終わったのだ。

 あれこれ悩みながら、来客が増えた「焚き火屋」や「森臨隊」の営みを中心とした今後を模索中。しかし、仮に今さら私がどこかに記事を書いたとして、それを購読する方がおられるのだろうか? そう考えながら、今日もチェーンソーを手にしている。

2016-05-13

産婆五台目着任。

 現車確認お見合いから約半年、濃密過多なドタバタを乗り越え、ようやく昭和62年式スバルサンバー4WD営農仕様(KT2型)が中古新規車検を経て公道復帰、Midwife 5号として着任した。
 550ccで歴代Midwife最高齢(29歳)ながら、実走行はたった2.2万km。車輌の特性からすると、ようやく「慣らし」が終わったあたり。

産婆五台目着任。20160513-01
▲田舎暮らしでは、何の不足も感じられない29年落ちの550cc営農サンバー。ボタンシフトのトランスファーには待ち機構があり、トランスミッションにエクストラLowを備える、スバルらしい贅沢駆動系。フロントメンバーまでのフルフレーム構造は、富士重工製最終型まで受け継がれた。


 この時代の実用軽自動車ならではの特徴が散見され、運転しても実に楽しく、ついつい試乗記を書きたくなってしまう。CCVなら、本分6ページ、細部詳解6ページ、巻頭カラー1ページ相当だろうか。
 さしあたっての問題は、錆びて劣化した荷台のエンジンカバーと給油口リッド。どこかに部品がないかな??

2016-04-22

巨星墜つ。

 本日、石川雄一氏の訃報が入った。

 一つの時代に幕が下ろされた感があり、受けたご恩を少しも返せなかった悔いが残る。

 石川さん、長きに亘り本当にありがとうございました。冥土でのお乗り物は、ジープですか? ラダですか? ローヴァーですか? ピンツガウアーですか? 軽トラですか? それとも自転車ですか? 昔の与太話から察するに、もう私書箱は準備されていますよね?
 
 ありきたりな言葉ですが、ご冥福をお祈り申し上げます。

2016-01-03

正月リエゾン。 

 当欄読者の皆様、

 あけおめこ
  とよろでございます。

 いっけね、改行箇所まちげーちまった。

 実家での年越しから、無事帰着。
 実家最寄りの圏央道相模原愛川I.C.から自宅最寄りの関越道嵐山小川I.C.に要した時間は45分、ドアtoドアで57分。初めて1時間を切った。もちろん、これまでの最速タイム更新。プレオってすげー。
 「上手いクルマ」と一緒に走ると、実に楽。走りやすいし、楽しい。
 私をリードしたのは、ケツにSnap-onのステッカーだけを貼った20年落ちのハイエース、私の後ろに付いたのは、現行のアテンザ
 とにかくこのハイエースが上手い。ホリディドライバーとも言う「走る障害物」により、途中の流速は下が72km/h、上は134km/hの変化を余儀なくされたが、この間、一度もブレーキを踏んでいない。後方のアテンザも、適度な車間でピタリとつけて来る。3台それぞれパッシングなど一切なく、ハザードランプと消灯で挨拶を交わす。
 何よりもこのハイエース、速度はともかく高速道路のマナーをしっかり守り、走る障害物の追い越しを終えたらすぐに走行車線に戻り、次なる障害物が現れたら追い越し車線に移動。その繰り返しで、追い越し車線に障害物がいたら、やむなく走行車線から追い抜く。
 予期せぬ3台が、編隊(変態かも)走行を組む。
 やがてジャンクションが近づき障害物が増え、それぞれが向かう方向へと散った。

 願わくば、あのハイエースアテンザの運転手と会ってみたい。彼(彼女かも)らとご家族のご多幸を願ひつつ、安酒を呷る。

 今年は、端から縁起が良いぜ。

2012-12-08

「マライア」が来た。

 先日、師匠・石川雄一氏が近所で伐っていたカシや雑木を軽トラに積んで来てくれた。

 今年の夏頃、CCVの掲示板にて氏が軽トラに興味を持ち、平成5年式の丸目キャリイ・リフトダンプを入手したことは知っていた。この車両を刷毛で濁緑色に塗り替え、Truck Utility 1/3 Ton 4x4と呼んでいたことも。
 その後私の体調不良や多忙からCCV掲示板を見る余裕がなかったが、氏はこの車両に「マライア」と名付けていた。
 軍用風な塗装と呼称、ジョークの利いた愛称など、いかにも石川さんらしい。

 丸太満載状態の時は気づかなかったが、積み荷を降ろしてみるとリアガラスの片隅にこんなステッカーが。

「マライア」が来た。20121208-01
▲リアガラスの片隅に張られた自作の車名ステッカー。「マライア」キャリイ。書体やロゴにも気を遣っている。

 これには思わず笑ってしまった。ロゴにまでこだわっている。この「マライア」をよく見れば、燃料携行缶の配置や工具類の収納など、軍用車両風の改善が随所に。本当にこんな軍用車があるのではないかと思わせるほど徹底している。

 私も何かにつけてこだわる(本来褒め言葉ではないので自虐的に)性格だが、氏には到底及ばない。
 蘊蓄たっぷりの会話も楽しく、短いながら、とても勉強になるひとときであった。

 しかし…。フツーの人がこの「マライア」を見たらどう感じるのだろう。「ここまでやるか?」と思うのか、それともここまで見事な改善だと、それがあたかも払い下げ車両であると思い込んでしまうのか。

「マライア」が来た。20121208-02
▲濁緑色に刷毛塗りされたTruck Utility 1/3 Ton 4x4は、何とも羨ましいリフトダンプ。よく見れば、軍用車両に見られる機能的な改善がそこかしこに。

2012-06-11

見たかったアイテム。

 CCV編集室でもある(株)I.T.F.が入間市博物館にて主催する毎年恒例の「Jeepの機能美展」。今年はゆっくり楽しみたかったので、来場者の少ない平日の初日に訪問。もちろんJeepで。
 実は、事前告知でどうしても現物を見たい展示物があった。
 これらのアイテムなのだが、後方の写真を見ず何であるかを答えられる人は、専門家かよほどのマニアであろう。いずれも第二次世界大戦に登場した旧ドイツ軍車両の履帯(「キャタピラ」という名称は登録商標)。
見たかったアイテム。20120611-01

見たかったアイテム。20120611-02
▲左側にあるのが世界最小の戦車「ゴリアテ」(巨人)の履帯。リモコン操作による無人戦車で、後方の写真は英軍に鹵獲された時のもの。

見たかったアイテム。20120611-03
▲中央は大戦後期の主力となったⅥ号戦車「ティーガーⅠ型」(Tyger Ⅰ)の履帯。ティーガーⅠ型でも車台は複数種あったが、履帯は共通だったらしい。後方写真の風景、転輪形状、搭乗員の服装等からいつ頃どこで撮影されたものか、見る人が見れば察しがつくはず。手前にあるのはケッテンクラートの履帯で、有人車両の履帯としては最小サイズ…だと思う。

見たかったアイテム。20120611-04
▲幅725mm、重量26kgの鉄塊。履帯の1コマとは思えないほどの迫力がある。片側だけで何コマ必要なのか、模型少年だった30ン年前に集めた資料が拙宅のどこかにあるはず。実物を目に前にすると、模型は所詮模型でしかないと知る。当日は運良く石川雄一氏(主催者:元陸上自衛隊火器管制陸曹)と二階堂裕氏(賓客?:元海上自衛隊潜水艦音響探索士)から「戦車の履帯」に関する個別解説が受けられた。

見たかったアイテム。20120611-05
▲右側は大戦前期の主力となったⅢ号戦車の履帯で、幅は380mm。Ⅲ号戦車が時代遅れとなって以降もその車台は突撃砲や自走砲として大戦末期まで生産された(資料を読んだ記憶が曖昧)。


 もちろん他の展示物も興味を抱かせてくれるものばかり。来年はどんな展示物と出合えるだろうか。

2012-02-12

いつ行こうか。

 閉鎖されてから10年以上経ただろうか。流行が頂点を迎える前、とりわけ関東の四駆乗りが聖地扱いまでしていた「あの場所」(http://www12.plala.or.jp/bearhand/welcome.html)が営業を再開したらしい。

 ようやく取り付け道が開通し、まだコースも名前もない時期から知っているし、そこでさんざん遊んだだけに、すぐにでも行きたいのだが…。この季節に行くとなると、凍結した峠道を越えなければならない。
 万能かつジープ標準タイヤとも言うべきゲタ山が、唯一苦手とするのが凍結路。ホイールベースが短いゲタ履きジープで凍った峠道を走るとなれば、それはもうスリル満点。「往きはヨイヨイ、還りはコワイ」ってこともある。さりとて、峠を迂回するのも無駄に思えるし…。

 うーん、いつ行こうか。たまには仕事を忘れ、サスを捩りながら泥と戯れたとしてもバチは当たるまい。

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