人事ミス。 

 もし私が太坊ちゃんの立場にあったら、中山クンの「日教組発言」を聞いて、こう漏らしただろう。
「しまった! アイツは文科相にすべきだった!」

計画中。 

 週明けから伐採作業に加わる送電鉄塔建設予定地(C)と隣接するエリアは、先に別業者が雑木の伐採を終え、薪ストーブユーザーがヨダレを流しそうな光景となっている(画像参照)。
 いやね、太いコナラやヤマザクラが積まれてて、「もったいないなー」って思っちゃったの。焚き火屋の商品として搬出したいんだけど、ちょっと事情が…。
 あまりにもったいないので、ここで「第2回 薪狩りミーティング」と「第3回 薪割り講習会」をやってみようかと思案中。このコナラが欲しい人は、少なくないと思う。
 問題なのが、この丸太が積まれている場所。奥まった里山の、ほぼてっぺんなのよ。軽クラスの四輪駆動車しか通れない山道を走り、そこから徒歩で斜面を250mくらい登って、さらに尾根づたいに200mくらい歩いた場所に「お宝」が積まれている。
 搬出にかける労力や時間、コスト等を考えた場合、焚き火屋販売価格で10kgあたり2,000円くらいになってしまう。そんな高価な薪、誰も買うまい。
 関連する地権者とは交渉済みで、搬出の許可は得ている。日程としては、送電鉄塔建設予定地(C)の伐採・搬出作業が終わってからで、10月下旬~11月上旬あたりになるだろう。参加費は2,500円前後。参加希望者が1人でもいれば開催するし、いなければ企画はボツ。積まれた丸太は、月日をかけて朽ち、山の栄養となる。
 断っておくが、この現場から薪材を運び出すのは、かなりの重労働となる。それを覚悟の上で、興味のある方は参加して頂きたい。「薪を得る」ということが、どういうことなのか、それを体験して頂ければ、薪ストーブとの関わり方も変わって来るのではなかろうか。
 山の空気は美味しいし、そこで食べる弁当も格別の味。薪を得る労働と充実感を味わえば、たとえコンビニ弁当であってもべらぼうに美味く感じることは保証しよう。少しでも山に触れることで、薪以外の「形にならない何か」も得られるはず。「労力をかけてでも、自宅で焚く燃料は自分で確保したい」という方は、ぜひ当方へご連絡を。

計画中。20080927-01
計画中。20080927-02
▲里山の頂上付近に薪材が眠っている。画像は、その一部。携帯電話のカメラで撮影したため不鮮明だが、状況は察して頂けるかと思う。ひょっとしたら、搬出に「戦車」の協力が得られるかもしれない。

山仕事スケッチノート(2)-「片付いた」 


山仕事スケッチノート(2)-「片付いた」
 先週から伐採を始めた送電鉄塔建設予定地(B)は、今日でほぼ片付いた。集材作業のほとんどが人力で、事情によりウインチが使えたのは10本ほど。押したり引いたり転がしたり。細いヤツなら40kgくらいだけど、太くて長いヤツなら300kgを超えているかな?
 なお、昨日アップした「ケータイのカメラ。」の画像は9月18日に現場東側から撮影したもので、本日の画像は現場西側から撮影したもの。

山仕事スケッチノート(1)-「食えるかなぁ」 

 携帯に便利なカメラ(?)を持ち歩くようになったことだし、せっかくだからコイツを使って山仕事(木こり仕事)で見つけた何かを紹介して行こうと考えてみた。案外、興味を持ってくれる方も多いのではなかろうか。
 私のことだから、たぶんおバカな内容も多くなるかもしれない。でも、こんなことから林業や木を使うことに少しでも関心が高まってくれればと思う。
 タイトルに「スケッチノート」と入れてみたが、犬の絵を描いても「上手なアヒルですねぇ」と言われるくらい私には絵心が欠落しているので、携帯電話のカメラで撮った画像でご勘弁頂きたい。

山仕事スケッチノート(1)-「食えるかなぁ」20080924-01
山仕事スケッチノート(1)-「食えるかなぁ」20080924-02
 先週に引き続いて、本日も同じ現場。雨天作業となった先週木曜日から気になっていたのが、尾根付近に生えている白いキノコ。豊かな食材とは縁遠い私には、「色素が足りないマツタケ」にしか見えないんだけど…。食えるかなぁ。

ケータイのカメラ。 

 新しくした携帯電話には、カメラが付いている。これがなかなか便利な機能で、仕事の合間にちょっとしたメモ代わりになるし、記憶媒体(マイクロSDカード)に保存すれば、データをパソコンで読み出せる。
 下の画像は、デジカメモード(200万画素)で撮影した先週木曜日の現場の様子。一眼レフには遠く及ばないとしても、手軽に撮影出来るメリットは大きい。便利な時代になったものだなぁ。

ケータイのカメラ。20080923-01
▲現場は、「森の名人」山田善三さんとその息子充宏さんの山。よく手入れされていることがおわかり頂けるかと思う。

姉弟。 

 昨日は、JICA(国際協力機構)の派遣員としてエクアドルへ行く姉を見送りに成田まで行く予定でいたが、体調がことのほか悪く断念せざるを得なかった。姉が赴く国も遠いが、昨日の私にとっては成田でさえも彼方であった。あーあ。
 詳しいことは知らないが、看護婦であり助産婦でもある姉は、その知識と経験を生かすために現地へ行くらしい。少なくとも、商品価値の高いバナナの栽培方法を指導しに行くのではないと思う。
 私が9歳の時に、姉は家族から離れ下宿生活を始めた。以来、一緒に暮らしたことはない。本当に同じ親から生まれたのかと疑いたくなるほど姿形は似ていないし、学業成績もかけ離れている。ただ、「我が道を行く」という性格だけは、やはり同じ遺伝子を持っているのだと納得するばかり。
 今ごろ姉は、赴任地に到着し、荷ほどきも終え、ひと息ついているであろう。50歳を超えてなお、新しいことに挑戦している姉は凄いと思うし、不出来な弟にとっては自慢の存在でもある。2年後、任期を終えて帰国したら、爪の垢でも煎じて飲むか。

姉弟。20080923-01
▲今年7月、駒ヶ根にあるJICAの訓練施設に「収容」されている姉を訪ねた時の1枚。姉とのツーショットは、おそらく私が幼稚園児の頃以来だと思う。

道具を買う。 

 節約生活を余儀なくされている身ではあるが、1年後、3年後、5年後を考え、仕事に使う道具は揃えるようにしている。
 で、先週頂いた日当の中から購入したのが、鳶と背負い籠の2点。
 鳶があると、薪材の丸太や伐った木の集材に役立ち、林業に関わるようになって以降、欲しかった道具でもある。土佐の刃物鍛冶による手製でそれなりの値段であったが、質を考えれば、むしろ安いと言えよう。
 背負い籠は、燃料、チェーンオイル、水、ロープ、滑車、チルホール等仕事に必要なアイテムを現場まで運ぶためのもので、地元の農具屋さんで購入。こういう道具は工業化出来るものではないだけに、てっきり1万円以上するものと覚悟していたが、思っていたよりも安かった。どうやら支那で作られているらしい。質が良ければ、どこで作られていようとこだわらない。だが、日本国内でにおける手工芸が衰退している現状を聞くと、寂しい気分になる。
 おかげさまで、焚き火屋のお客様は少しずつ増えている。ただし、まだ薪屋稼業だけで生活を維持出来るだけの状況には至っていない。
 道具作った人に感謝しながら、道具を生かして頑張らなくっちゃ。

道具を買う。20080923-01
▲経済的に余裕がないからこそ、仕事に使うからこそ、高価であっても良い道具を買う。長い目で見ると、その方が経済的でもある。

転居計画。 

 3日前のこと。山仕事5日分の日当が入ったので、滞納している家賃のうち1ヵ月分を収めに言ったところ、大家さんから、
「病気と借金を抱えた弟がいて、車中生活を送っている。弟の面倒を見たいので近くに住ませたい。来年3月で契約が切れるから転居して欲しい」
 と言われ、一応了解の旨を伝えた。
 いつまで経っても家の内外は散らかり放題だし、家賃は滞納しがち。入居当時、
「長く住んで欲しい」
 と言っていた大家さんの態度が変化したのも無理はない。それに、時々やって来る大家さんの親族は、やれここ車を置くなとか、ここで犬を飼うななど、やたら小言が多い。ここに車を置いても良いし犬を飼っても良いという条件で契約しているのに…。
 法的には借り主の権利が保護されているので、私が退去要請に従わずここに住み続けることが出来る。しかし、「出てってくれ」と言われた場所で暮らすのは、どうも気分的によろしくないし、山仕事の道具が増えていたりJ3復活のめどが立ったこともあって、道具置き場や車の保管場所の問題から、今の家では適さなくなってきていることも事実。
 さて、どうするか。今の収入では、転居に伴う敷金や礼金などとてもじゃないが用意出来ない。それ以前に、滞納している家賃やガス代や水道代や電気代を支払わなければならない。チェーンソーや刈払い機を扱う関係から、音の問題もある。山奥に人の住まなくなった民家なんて、都合良くないものだろうか…。

発送と搬入。 

 木こりの見習いとして山の仕事に従事し、少しでも技術を身につけようと努めているが、もちろん焚き火屋の仕事を疎かにしている訳ではない。昨年購入した平成3年式のサンバーも発送や搬入に大活躍で、オドメーターは10万kmを超えた。
 日に日に秋の気配が近づき、山の仕事も薪屋稼業もこれからが本格的なシーズンとなる。忙しくなるのは嬉しいけど、マジで体が2つか3つ欲しくなるかも。
 
発送と搬入。20080916-01
▲商品の発送風景。使用している段ボールは、スーパーで頂いて来たもの。サイズはまちまちでも、これで充分。

発送と搬入。20080916-02
▲8月下旬、ユニック付きの4t車を頼んでカシの丸太を搬入。12tくらいはあるだろうか。

発送と搬入。20080916-03
▲これまで薪割り台は、チェーンソーによるラフカットのみだったが、今回は製材所にカットを依頼してみた。加工費が掛かる分だけ値が上がってしまうが、水平が出ているし仕上がりがきれいなので、お客さんには喜んで頂けそう。

カミングアウト。 

 悪い連中を適度に痛めつけたところで、黄門様はこうおっしゃる。
「スケさん、カクさん、もういいでしょう」

 うん。もういいかな。私の病気のことを書いても。

 当ウェブログを開設して丸2年、こんな拙い雑文でも愛読して下さる方が増え、病気のことを心配してくれる人も多い。ならば、いっそ病気のことをオープンにした方が良いだろう。私としてもこれを書くことにより、少しは気が楽になる。中には、その内容を知ることで「引いて」しまう方もおられるだろうが、それはそれで構わない。病気に関して無理解な方や忌避する方々とまで無理してつきあう気はないし、そんなつき合いをしたところで病気を悪化させるだけだ。


病気の始まり

 私が患っているのは、「躁うつ病」。医学知識のある人は、私を見て「統合失調症(旧名:精神分裂病)」と判断するケースもあるが、かれこれ6年診てもらっている主治医の診断書には、はっきり「躁うつ病」と記されている。
 体の異変に気づき始めたのは9年前、平成11年(1999年)3月あたりのこと。原稿が思うように書けなくなり、夜の寝付きも悪くなった。生まれて初めて報酬が得られる商業原稿を書いたのが18歳(高校3年生)の時で、20歳で出版社に入社して以降は、仕事として原稿を書くようになった。以来15年間で、いわゆるスランプという状況は何度もあったし、今回も同様のスランプだと思っていた。
 しかし、その判断は間違っていた。現状を打破しようと頑張ってみても、体調は悪くなるばかり。ますます原稿が書けなくなり、満足に眠ることさえ出来なくなって行った。
 あまりにひどい状況に、
「ひょっとしたら病気なのでは?」
 と、意を決して精神科医院を訪ねたのが平成12年(2000年)4月のこと。そこで「うつ病」と診断された。この時、すでに仕事はおろか生活することすらままならなくなっていた。


併発

 初めて訪れた精神科医院がひどく、精神的にズタズタとなったため、すぐに転院。しかし、医院を変えても一向に回復する気配はなく、むしろ悪化の一途。救いを求めて転院を繰り返す。
 医師から告げられた病名も様々で、「うつ病」のほか、「精神分裂病」、「感情障害」などなど。正確にどんな病名を付けられたのか覚えきれないほどで、中には「解離性同一性障害(多重人格)」なんてのもあった。
 仕事が減り酒におぼれ、「アルコール依存症(アルコール中毒)」も併発していた。それも重度で、身体依存と精神依存の両方を持っていたらしい。
 現在の主治医に巡り会えたのが平成14年(2002年)春のこと。そこでようやく病名が「躁うつ病」に落ち着いた。


気が狂う

 本来なら、「うつ病」と診断された時点で休養すべきなのだが、私はフリーランス。何の保障もなく、休養=無収入となる。家族を持つ身として収入を確保すべく仕事をしたが、それが病気を悪化させた一因でもある。
 こんな状況で無理に仕事を入れても、良い仕事など出来るはずもない。結果として、それまで築いてきた信用をどんどん失い、完全に仕事がなくなり無収入となった。
 何もやる気が起きず、1日中飲んでばかり。廃人同然で気が荒み、いつしか気が狂っていた。振り返ってみると、「うつ病」と診断された時には、すでに気がおかしくなり始めていたように思う。
 平成13年(2001年)夏、現さいたま市のとある病院へ強制入院させられたが、ここでの扱われ方は拘束衣で身動きが取れないようにして独房(病院では「保護室」と呼んでいた)に放り込まれるというひどいもので、この扱いによってさらに悪化し狂気を決定づけられたと言っていい。


治療

 こんな人間が家庭生活を送れるはずもない。子供にも悪影響を及ぼすことから、実家に身を寄せ、近くにある大きな病院へ通うようになった。
 そこで、気が狂った状態から大元にある「うつ病」を治すためには、まず「アルコール依存症」を取り除かなければならないことを説かれ、アルコールを断つことから治療を始めた。
 「アルコール依存症」に特化した大病院の医師から現在通っている病院を紹介されて以降は、「アルコール依存症」と「うつ病」、両面からの治療が始まり、シアマナイド(抗酒剤)の世話にもならず気力だけで飲酒欲求を絶つことが出来るようになった。そして「躁うつ病」として診断され、少しずつ少しずつ回復しながら現在に至っている。
 ただし、今日までの道のりは決して平坦なものではない。失職、転職、離婚、転居、自殺未遂…。様々な人生の挫折を味わった。そしてそこから多くのことを学んだ。


現在進行形

 変調を自覚するようになってから9年半。最悪期は脱したように感じているが、決して治癒した訳ではなく、医師からは就労を禁じられている。それでも働かなければ、生活して行くことは出来ない。
 厄介なのは、「躁」と「うつ」の両面を持ち合わせていることだ。気分の上下動が極端に激しく、舞い上がっている(俗に言うテンションが高い)状態から一転してドスンと落ち込むこともしばしば。1日の中で「躁」と「うつ」を何回か繰り返すことだってある。
 さすがに9年半も患っていれば、この病気とのつき合い方も上手くなり、他人と接している時には「うつ」状態とならないようコントロール出来るが、厄介であることには変わりない。

 まだまだ治癒には時間がかかりそうだし、そもそも治癒するのかどうかも不透明。今は、その時その時を後悔しないよう生きて行くだけで精一杯でもある。

伐採作業。 

 今、週に2日ほど送電鉄塔建設に伴う伐採作業に従事している。これは、ある日の作業風景で、鉄塔建設予定地と建設作業に必要なエリアの伐採。もちろん、伐った木は有効に活用する。

伐採作業。20080912-01
▲チェーンソーとチルホールの息を合わせて狙った方向へ伐倒。1本梯子が掛かっているのが、次に倒す木。

伐採作業。20080912-02
▲伐倒木、チルホール、滑車、アンカーの位置関係は、こんな感じ。

伐採作業。20080912-03
▲材木として搬出する木は、「尺」を使って長さを測ってから玉詰め。

伐採作業。20080912-04
▲搬出しやすく、かつ鉄塔建設作業が行いやすいよう、玉詰めした丸太は、鳶を用いて寄せる。これは結構な重労働。

限界。 

 普段愛用しているSEIKOミリタリーのベルトが、とうとう使用限界に来た。

限界。20080908-01

差し上げます-スキーキャリア編。 

 「スキーに行くにはヨンクがイイ」とか言うだけの理由で、必要もないのにパジェロやビッグホーンが売れまくっていた頃、スキーキャリアも色々なメーカーから色々なタイプが売られていた。懐かしいアイテムだなぁ。
 で、モノが捨てられない性格である私の所にも1つあったりする。恐らく15年くらい前に購入した4×4エンジニアリングサービス社の「ウィンラック2」。スペアタイヤマウントに専用のブラケットで固定するタイプで、スキーとストックを4セット搭載出来る。風の抵抗を受けにくいよう縦方向に2列搭載する方法など、当時としてはかなり先進的なスキーキャリアであった。
 スキーに行く時間も金もない今の私には不要品となってしまったが、まだ使えるので捨てるのはもったいない。マウント用のブルともブラケットも全て揃っている。どなたか欲しい方がおられましたら差し上げますので、コメント欄からご連絡を。

差し上げます-スキーキャリア編。20080906-01
▲ストックも搭載可能とした点など、当時のスキーキャリアとしてはよく考えられたアイテムだった。

5万歩。 

 盆休み開けあたりからおかしかった体調も、ようやく回復して来たので、今週から山のお仕事を再開。
 一昨日は、植林されて10年ほど経った山の下刈り作業。足場の悪い斜面である上に、私の持っている重量級刈払い機だと結構しんどい。充分な朝食を摂らなかったがため昼休み前にはバテてしまったし、1日の作業を終えた時には左足(谷側で踏ん張る)がパンパンの筋肉痛。馬力があるのは良いとしても、燃料を含めると一般的な山仕事用機材より2.5kgくらい重いのだから、疲れるのも無理はないか。
 昨日は、よく手入れされた山の間伐作業で、私が伐ったのは20本ほど。伐倒後は枝を落とし幹を玉詰めして片付ける。やはり斜面での作業となるため足場が安定せず、慣れるまでには無駄な体力を使ってしまう。あぁ、心地良く疲れたぜ。

 新しい携帯電話に付いている万歩計機能は意外に楽しいもので、自分がどれくらい運動したかを数字で確認出来る。ちなみに2日間での合計は52,306歩。当然、歩行以外の振動もカウントされているだろうから、この数字イコール移動距離とはならないが、足場の悪い斜面で、かつ道具を持っていることを考えれば、結構な運動量かも。