♪おぉやじのー次はおぉ袋だぁー!♪ 

 ♪ヒーロシはぁ素手で払いっのけるー!♪ ♪行っけー行っけー、カーワグチぃヒロ…♪

 懐かしい曲の替え歌を口ずさんでいる場合ではない。全身アミロイドーシス末期+老年性鬱を抱え賽の河原にいる父を支えていた母が、とうとう倒れてしまった。

 1月7日の事件で受傷以降、、身体的な不自由、通院や多忙と疲労、その他諸々の事情により実家問題から排除、情報も遮断されていた私に、姉から入電。
「お母さんが電話しても出らんし、ヘルパーさんがチャイムを押しても出らんらしい。悪いけどハルオが行って状況ば確認して!」
 これが地元の整形外科医の受診を終えた2月1日1045時頃。しかし、私は基本的に運転出来ない体。
 生活介助を頼んでいる従業員に、とりあえず訊いてみる。
「おう、今日の予定変更! 今から相模原まで行けるか?」

 緊急性を要するが、取り急いでもひとまず必要となりそうなものの確認・着替えで時間がかかる。
 実家到着は同日1432時。合い鍵でドアを開けても、中からチェーンが掛けられ開くのはわずかな隙間。防犯用として有効なアイテムも、こういう場面では障害でしかない。
 そのわずかな隙間から声を掛ける。
「おーい、お袋ぉー!」
 反応なし。しかし、生活臭が漂う。母は生きている!
 少し時間を置いてから、再度声を掛ける。より大きな声で、繰り返し。
 ようやく室内で人が動き、誰何された後にチェーンが外された。母は生きていた。

 その後は、家族にしか出来ない対応で時間を過ごし、2040時に119番発信。かかりつけの病院に救急搬送してもらったところ「インフルエンザは陰性。肺炎だが、ただの肺炎ではない」と診断。しかし生憎その病院は満床で、再び救急車で隣接市の病院に移送。
「オレって、この1ヵ月で何回救急車に乗ったんだ?」
 死相の浮かんだ母の顔を見ながら、暢気な思考で怒りと悲しみを紛らわせていた。

 一命を取り留めた母は、2月5日夕方時点で意識があるものの、医師からの説明によれば病状は悪化しており、予断を許されない。
「会わせせておきたい人がいれば、早めに…」
 とも言われている。恢復するか否かは、母の気力と生命力を信じるしかない。

 頑張れお袋。長男のオイが不自由な体に鞭ば打ってでん看病するするけんくさ。