区切りの日-残ル半分ノ役目ヲ終ヘマシタ。 

 高知で父が息を引き取ったのは、昨年8月10日。四十九日となる9月27日に法要と納骨を予定していたが、私の体調不良で先送りにしていた。
 父の容態急変の報を受け埼玉-高知-埼玉を2泊4日で強行し呼吸している父に会えたは良いとしても、己の老いを無視した長距離長時間運転への過剰な自信による無理がたたって、帰宅時には体力も気力も使い果たしぐったり鬱状態。後日、姉から訃報を聞き、私の思い浮かぶ範囲で父と親しくお世話になった方々に連絡したものの、体調回復の兆しは見えず、やむなく法要と納骨は中止・延期とした次第。当日までに体調が良くなる見込みがなかったことや、倅や叔父・叔母のアドバイスもありそう判断した。
 しかし、その後いつまで経っても鬱が深く体調が戻らない。僧侶の手配や墓所の予約など、1ヵ月先の体調が見込めるようになったのは、年が明け2月も終わる頃。体調云々よりも、私自身が膵炎で入院したことにより切迫感が強まったと言うべきか。
 そして昨日、骨片となった父をやっと母が眠る墓へと導けた。
 墓所へ行く前、同じ場所に10年以上住んだことのない両親が人生最後に18年も暮らした愛着ある団地に立ち寄ったところ、集会所で「お別れの会」が用意されていて、多くの方が来られたことには正直驚かされた。
 生前、父はしつこいほどに言っていた。
「わしが死んだら、葬式は団地の集会所でやれ。喪主はお母ちゃんやが、葬儀はハルオが仕切れ」
 と。
 結局、葬儀は行えなかったが、葬儀とは異なる、より良い形で父の希望が叶えられた。私の状況を察し動いて下さった団地や近所の方々には感謝するばかり。彼岸へ渡った父は、きっと喜んでいるだろう。

区切りの日-残ル半分ノ役目ヲ終ヘマシタ。20170420-01
▲助手席に乗せた「父」(遺骨、位牌、遺影)に、愛した団地を見せながら、お世話になった方々に挨拶出来ればと思っていただけに、集会所が用意されていたのは驚きだった。急いで「父」と供物を祭壇へ。ご尽力ならびにお集まり戴いた皆様に心より感謝。遺影の笑顔がいつになく嬉しそうに見える。



 ずっしりした父の骨壺は墓標の下に納められ、母の骨壺と仲良く並んだ。60年連れ添った夫婦が、姿と場所を変え、再び一つ屋根の下となる。
 予定から半年以上遅れて、やっと親の子としての役目を終えることが出来、安堵感と達成感があるはずなのに、なぜか私の体調は下降線。このところ冬の空気と初夏の陽射しというアンバランスな天気が続いているから・・・とでもしておこうか。

区切りの日-残ル半分ノ役目ヲ終ヘマシタ。20170420-02
▲墓所にて。父との会話を思い出しながら選んだ供物は、沖縄赴任時代から大事にしていた飲みかけのスコッチ、ビール、地元商店街の美味しいパン、杏仁豆腐、エクレア、鳩サブレ。遺影の前には死亡叙勲で授与された瑞宝双光章。ノンキャリの父は、ステイタスに憧れていたからなぁ。

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